Bunkamuraで開催されている
ソール・ライター展を見に行った。ソール・ライター(1923-2013)。
ハーパーズ・バザーやヴォーグといった
コマーシャルフォトの世界で活躍するも、
1981年に自身のフォトスタジオを閉鎖。
その後は隠遁生活を送り、経済的には苦しい日々を過ごしていたという。
その作品が再び注目されたのは、彼が80歳を過ぎた2006年、
ドイツの出版社から出た写真集だった。
まさにニューヨークの伝説。
展示の中心は、1950年代のニューヨークを切り取ったカラー写真だった。
ニューヨークから連想するのは、喧噪・雑踏、華やかな街の営み、
あるいは人種差別や犯罪などの
感情をダイナミックに揺さぶる瞬間ではないだろうか。
だが、彼が捉えていたのは、窓に反射する人の表情や、
雨傘、窓越しの街のシルエットなど、
静かな、何気ない表情だった。
展覧会の紹介サイトには、こんな文章がある。
一般的には日常の中で見過ごされる一瞬のきらめきをとらえた「都会の田園詩」ともいえるライターのスタイルは、他の写真家たちと一線を画す。「写真は、しばしば重要な出来事を取り上げるものだと思われているが、実際には、終わることのない世界の中にある小さな断片と思い出を創り出すものだ」、というソール・ライターの言葉は、その写真哲学を端的に表している。
彼のカラフルな、でも静かな写真を見ながら、
自分のことを考えていた。
どうも最近、写真を撮っていると、
「誰も見たことがない景色を、
どうやってレンズとカメラの力で見いだすか」と考え、
肩に力が入ってしまっていた気がする。
捉えているのは、小さな断片と思い出に過ぎなかった。
そもそも考えれば、
今の渋谷をフィールドに写真を撮り始めたのは
そういう気分のはずだったのに。
もちろん、ソール・ライターは、カラーフィルムとライカという
先端的な技術を使い、作品を残していた。
ただ、「そこにあるものをどうやって残すか」という
意思が先にあった。
技術はそのために必要なものだった。
自分が今何をしているのか、少し立ち止まって考えた。
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