2019/02/06

新国立競技場のことについて

新国立競技場:「杜のスタジアム」に宿る命

新国立競技場は2016年12月に着工。基礎工事、スタンド工事の後に、昨年夏に始まった最難関の屋根工事を経て、今年11月に竣工する。その後JSCに引き渡され、もろもろの整備が行われて2020年のオリンピック本番に使用される。残念ながら、この新しいスタジアムのこけら落としとなるはずだったラグビーワールドカップは、日本全国の他のスタジアムで行われることになった。

 隈研吾氏がデザインを担当したこのスタジアムは、「杜のスタジアム」と呼ばれ、日本全国の森林から集めた木材を構造材・外装材に多用し、木のぬくもりを深く感じられる作りになっている。日本全国の木を集めたのには理由がある。放っておけば沈下する一方の日本の林業界を少しでも活性化できないか、という思いがあってのことだ。

 8万人収容のこの巨大建築物に使う木材の量は、前代未聞の規模になる。この規模で発注をかけることで、産地のみならず大小様々な加工工場も一気に忙しくなる。基本的に産地の近くで加工することが多い木材だが、このスタジアムの規模の加工量となると、地場の工場の能力だけでは間に合わない事態も生じる。そのため、産地から日本各地の工場に仕事を分散させることが必要となる。

 例えば東海地方で採れた木を東北地方や北陸地方で完成品に加工し、東京の現場へ出荷、といったように。日本全国の木材関連業者が、新国立競技場が縁でつながっていくのだ。普段やりとりがなかった全国の工場が連携して事に当たることになる。林業という産業の活性化の第一歩としては、悪くない取り組みではないだろうか。

 確かに全国で手分けをすることで輸送コストと環境負荷は上昇するため、エコの観点から見ればどうなんだ、という向きもあるかもしれない。とはいえそもそも建材は、建物から遙か遠く離れた工場で生産されているのが常であることを思うと、今回の取り組みにおける輸送コストについては、目くじらを立てなくても良いのではないか、というのが私自身の思いだ。

 杜のスタジアム。実にいいではないか。

 だがこの建物を語ろうというとき、脳天気に隈研吾デザインでよかったね、木のデザインがすてきだね、で済むはずがないのだ。このスタジアムには、木の暖かな命だけが宿っているのではない。厳しい工期を乗り越えた作業員。現場監督や下請け企業。そして、設計者。関わった全ての人間の血と汗と涙…。あらゆるものが渾然一体となり、この巨大な建物は神宮の森に立っている。

 ある建物を理解するという行為は、構造や表面的なデザインについて語るだけでは済まない。それが「どこ」に、「どうして」建っているのか。コンテクストから理解しないといけない。


隈研吾の前に“ザハ案”あり



杜のスタジアムは、いわゆる“ザハ案”が安倍首相の鶴の一声で覆ったことからできあがったものだ。

 そもそもの起こりは2012年11月。新国立競技場の新デザインを決める国際コンペで選ばれたのは、イラク出身・イギリス在住の女性建築家、ザハ・ハディドのチームが作ったものだった。



 構造とデザインが一体となったインパクト抜群の造形に、コンペの審査員長を務めた安藤忠雄は絶賛を送った。

これから100年、この建築が世界のスポーツの殿堂となるのではないか。

 解決すべき課題は多数あること、それは日本の建設業界がもつ技術で必ずや克服できるであろうことも付け加えて。

このパースはすぐにオリンピック招致ファイルに加えられ、翌2013年、オリンピック招致のプレゼンテーションでは安倍首相がこのスタジアム建設を謳った。そして、オリンピック招致は決まった。このスタジアムが決定打になったのか?そんなことはないだろう。だが、世界に与えたインパクトは相当大きかったことは想像に難くない。

 コンペの勝利後、ザハ事務所は「デザイン監修」という立場でJSCと契約を結んだ。ここからが悲劇の始まりだった。ザハ事務所は、単に建物をデザインするだけではなく、建物を実際に建たせる「構造設計」および「実施設計」も手がける能力がある事務所である。だが、なぜかJSCはザハ事務所に設計を任せることしなかった。日建設計を筆頭とする4社JVと設計の契約を結び、ザハ事務所は監修という席に座らせるにとどまった。

 つまり、ザハ事務所がJSCと実作業のフェーズで分断してしまったのだ。もちろんザハ事務所は設計JVと連絡を密にし、様々な面でサポートを惜しまなかった。

 一方でJSCは、各団体からの要望を100%盛り込んだ、つまり「盛りすぎ」プランを設計JVに作らせる。発注者であるJSCは本来、ターゲットとする予算を明確にしつつ、設計の要件を設計者に伝えなければならなかった。だが、彼らはこのプロセスの間に予算額を明らかにしなかった。予算額が分からず、要望だけは膨らむプラン。JSCはあらゆる方向の要望を聞いては図面を修正させるに終始し、設計が一向に確定しない。予算案は膨れ上がり、設計JVは当初、全てを盛り込むと予算は3000億円にも及ぶと警告。事業規模の縮小が多少図られたが、1600億円〜1800億円で推移していった。

 2014年になった。ザハ事務所と設計JVが仕事を開始して、2年の月日が消費された。2015年10月の着工予定まで、あと1年。実施設計で詳細が決まり始めた頃に、後追いのように施工者を巻き込んで、予算を想定しながら設計を進めるという方向に舵が切られることになった。ECI方式の採用である。

ECI: Early Contractor Involvement

  • 設計段階から工事業者が施工性を検討し、設計に反映して、工事期間を短縮する手法。 
  • 設計段階から施工者が関与し、施工上の課題を設計にフィードバックすることにより、工事費のリスク軽減及びプロジェクト工期の短縮が可能。
  • 早期の発注が可能で、発注時に詳細仕様の確定が困難な事業に適しているとされる。

 スタンド工区は大成建設、屋根工区は竹中工務店に区割りされ、ECIの契約が締結された。

 遅々として進まないプロジェクトへのカンフル剤として期待されたが、これを行うには既に設計が進みすぎていた。施工者が加わるには既に遅く、予算カットの余地がなかったのだ。進んでいた実施設計をもとに施工するとなると費用は3000億円に及ぶと通告。交渉はその後もなされたが、結果として2015年7月、建設総額は2520億円以下には下がらないとJSCは結論づけ、各所に報告された。

 これが報道されるや、戦犯はザハのデザインにある、いや施工者の努力不足だと、各所で議論が噴出。もはやJSCおよび、彼らを管轄する文科省では世論を抑えきれなくなり、安倍首相の鶴の一声で新国立競技場の設計は白紙撤回されることになった。2015年7月17日の出来事である。

 このとき即座に、ザハ事務所は英語と日本語で、声明(Statement)を出している。

New National Stadium, Tokyo Japan by Zaha Hadid Architects

建設業者の高額な見積りに対応するため、ZHAと設計チーム全員がJSCと協力して、設計内容が要求と予算に合うよう、さらなる変更などのコスト削減案を多数提案しました。我々はまた、競技場の建設が標準的な資材や技術によってできる具体的な方法も提案しました。我々の経験から、高い品質を維持しかつコスト効率の高いプロジェクトを実現させる最良の方法は、設計者が建設業者やクライアントと一丸となり一つの目標に向かい協働して取り組むことです。しかしながら、我々は建設業者との協働は許可されず、これも不必要に高い見積りや完成の遅延などのリスクを高める要因になりました。

JSCの報告にある見積りが増大したのは、東京の建設コストの上昇、限定的で競争の無い調達方式による建設業者の指名、設計チームと建設業者との協働に制限があったからであり、デザインが理由ではありません。

設計が正式に承認を受けたわずか10日後に、新国立競技場設計の実現および2019年ラグビー・ワールドカップ開催に間に合わせるこの計画が白紙になったことを、ZHAは報道によって知りました。その後JSCから新国立競技場の契約をキャンセルしたいという短い正式な通知を受け取りました。


 ザハ事務所は、発注者のマネジメント能力の欠陥に躓かされ、かつ「監修業務」という曖昧さを盾に、このプロジェクトでの生命を絶たれることになった。


白紙撤回、ザハの死

 
 ザハ案を採用した旧デザインコンペで審査員を務めた内藤廣は、ザハ降ろしの風潮に対し、設計段階から当事者としてコメントを出している。


ザハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけていったら袋叩きにあった、という気持ちかもしれません。そうなれば、それこそ国税一千数百億を使った壮大な無駄遣いです。
ザハに最高の仕事をさせねばなりません。決まった以上は最高の仕事をさせる、ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせる、というのが座敷 に客を呼んだ主人の礼儀であり、国税を使う建物としても最善の策だと思うのですが、どうでしょう。

 建築の実務に当たる者の中には、ザハ事務所と設計JVの知見を生かすべきで、再コンペは労力と費用の無駄になる、と主張する者もいた。ところが結局、白紙撤回の後、デザインコンペが再び開かれることになった。ザハは日建設計とタッグを再び組み、再コンペに挑戦。しかし、組む建設会社が決まらず参加を断念した。隈研吾+大成建設、伊東豊雄+竹中工務店・清水建設・大林組の一騎打ちとなり、隈研吾チームが採用を勝ち取った。
 
 その後隈研吾案のスタンド形状が、ザハ案と極めて似ていると訴えがあったものの、しばらくすると火は消えたかのように報道は少なくなり、JSCによる定例ブリーフィング時々思い出したように行われる報道機関向けの現場公開以外は、情報が出てこなくなった。

 ところで大成建設のスタンド案は、なぜザハ案と酷似していたのだろうか。時系列を振り返ると、白紙撤回の8日前、2015年7月9日にスタンド工区の先行発注が大成建設になされている。また、スタンドの断面は、再コンペの資料に盛り込まれている。このファクトから、大成建設のスタンド設計の由来は推して知るべし、ということになるのだろう。

 隈研吾案の決定からおよそ3か月後、ザハは急死した。彼女の死と前後して、スタンド工区の著作権譲渡についての報道も上がっている。

 2016.4.13 08:00 【新国立競技場】 故ザハ・ハディド女史が訴えてきた「著作権」に効力はあるのか? 建築家・上林功

 彼女は何を思い、死したのだろうか。

さらに重なる死:過労死自殺

 当初の着工予定から遅れること1年2か月、2016年12月にようやく新国立競技場は着工。2019年11月竣工を目指し、猛スピードで工事は進む。着工から4か月ほど経った翌17年の4月、下請け会社社員の過労自殺が起こってしまう。

ここでは多くを述べることができない。工期の遅れを取り戻そうと、その社員が必死に働いていたこと。下請け会社はその社員の残業状況を把握していなかったこと。報道によって様々な面が語られている。いずれにせよ、短工期が引き起こした、起こるべくして起こった自殺である。

 その後、現場には常駐の医師・看護師が入ることになり、大成建設は働く者の健康管理に相当注意を払っている。


木のスタジアムが立ち上がる

 スタジアムの工事は進む。鉄骨工事と平行して、木材の伐採・加工も進められた。杜のスタジアムの象徴を作る作業だ。

 最高高さ49.2mと、ザハ案の7割程度の高さに抑えられたスタジアムが、完成されつつある。隈研吾は、できるだけ神宮の森に溶け込むようなデザインにしたかったと当初から述べている。ザハ案とは全く正反対の建物だ。

 ザハは、コンペに勝ち抜いた直後、建築家人生においてこの競技場がどのような意味を持つのか、と問われ、5年・10年経たないと分からないと答えている。隈研吾も、同じように問われれば、おそらく同じような答えを出すのではないだろうか。

 建築の価値とはその場ではなく、使われてきた経緯と文脈が定義していくものである。今、私たちの目の前には二つの死を乗り越えたスタジアムがそびえている。(高さを抑えたと言ってもおよそ50mもあるのだ、そびえるという表現以外に何があろう)私たちはこれから、このスタジアムにどんな価値を見いだしていくのだろうか。

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